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国鉄・JRと共に100年

新星印刷株式会社のあゆみ

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創業者の経歴 小山寿夫(1880~1962)
岡山藩士小山仙吉次男

岡山中学・東京攻玉社工業学校卒業

土木橋梁技術官として朝鮮総督府に勤務

大正3年(1914)退官。
大正4年(1915) 10月14日、神戸市生田区北長狭に「小山成交社印刷所」を創立。 第一次世界大戦による好況と一族に多かった鉄道省関係者のバックアップにより公報・切符類・時刻表の生産を中心に順調な業績の発展を見る。
大正10年(1921) 東京市牛込区築地に「東京支店」開設。
大正13年(1924) 関東大震災により東京支店被災。神戸本社では昼夜兼行で印刷物を生産、 東京地区に輸送して関東一円の鉄道復興に貢献する。
同年、「名古屋支店」開設。
大正13年(1924) 大阪市北区茶屋町に本社移転。
昭和3年(1928) 大阪市北区芝田町に新工場を建設。 鉄道省・阪急電鉄・阪急百貨店・大阪市役所・大同書院など広汎なお得意を得て事業を拡大。 併せて創業者小山寿夫は業界の役員を歴任、印刷業界発展に尽力する。
昭和14年(1940) 北京に日中合併会社「新中国印書館」を設立。 小山寿夫が最高責任者として経営にあたる。
昭和21年(1946) 社名「新星印刷株式会社」に改称、経営組織を株式会社に変更。 代表取締役に小山寿夫就任。 一方、小山寿夫は大阪市北部地域業者の連合組織として「北部印刷紙業協同組合」を設立、 理事長に就任するなど戦後業界の復旧に努める。
昭和25年(1950) 5月30日小山寿夫 代表取締役会長に就任。 後任の代表取締役社長に小川勇就任。
昭和33年(1958) 5月25日代表取締役社長 小川勇退任。 後任の代表取締役社長に秋丸豊就任。
昭和39年(1964) 大阪府設備近代化工場の指定を受ける。
昭和43年(1968) 弊社代表取締役秋丸豊が代表発起人となり、 大阪市大淀区豊崎に「北大阪印刷センター協同組合」を設立。 初代理事長に就任。(在任7年)
昭和44年(1969) 本社、工場ともに大阪市大淀区(現北区)豊崎6丁目6番23号「北大阪印刷センタービル」に移転。
昭和55年(1980) 弊社代表取締役秋丸豊大阪府印刷工業組合常務理事に就任、情報化委員長をつとめる。
昭和58年(1983) 大阪21世紀計画関連の印刷物製作に参加、大阪築城四百年まつりから国際花と緑の博覧会に至まで、 関連印刷物を多数生産。
昭和62年(1987) 4月、日本国有鉄道の分割民営化に対応して、弊社の社内体制を刷新。 情報処理のコンピュータ化を始め、ハイテク機器導入などにより品質の向上と生産の効率化をはかって、 幅広く新製品を開発、得意先からいっそうの信頼を得る。
平成9年(1997) 山陽新幹線500系のぞみ号車輌新規導入に際しカタログ、ポスター、リーフレット等制作納入する。 コンピュータ画像文字同時処理設備を本格設置し、マルチメディア時代に情報産業の一員として、 日々新技術の開発実用化に努力する。
創業以来、一貫して堅実財務と信用営業に徹し超安定経営会社として広くお得意先のご愛顧をいただく。
平成13年(2001) 3月30日秋丸豊 取締役会長に就任。 代表取締役に宮井茂が就任。
平成18年(2006) 4月1日西岡美穂 代表取締役社長に就任。西日本旅客鉄道株式会社様の運転業務用印刷物の作成を中心に、機動力を生かした新組織となる。
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